自由に心地よく「私が宇宙を創ってゆく」実況中継

自由に心地よく                 「私が宇宙を創ってゆく」実況中継

私の「想い」が人生を心地よく変えてゆく・・・心のままに、いろいろと^^

母に教わった「ガマンしない生き方」

 

はじめまして!   お会いできて光栄です^^

このブログの4つのhttp://lanlanland.hatenablog.com/entry/2017/06/25/195351

●私のプロフィールhttp://profile.hatena.ne.jp/lanlanlando/

●私の障害(ADHD注意欠陥/多動性障害)についてhttp://lanlanland.hatenablog.com/entry/2017/04/13/205309

 

 

f:id:lanlanlando:20170722115553j:plain

 

私の母は、とても優しい人だった。

10年くらい前、還暦を待たず食道ガンで亡くなっている。

母が何年前に亡くなったかは覚えていない(ADHDの特性で、どんなに大切な人のことでもどんなに大事な用事でもお構いなしに忘れてしまう。 

私の母は福島県会津生まれ。八重の桜の舞台。

会津の女は我慢強くて心が暖かい。

本当にその気質通りの人だった。

 

ずっとフルタイムで働いて3人の子供を育て上げ、時々ママさんバレーをして、破天荒で家を顧みない父に何も言わずに一生を終えた。

 

母はとても優しい人だったけれど何かしら溜め込んで我慢するタイプ。

ニコニコしてあまり怒ってる所は見たことがなかった。

父の母(姑)と一緒に暮らしていたから嫁姑問題もあったみたいだけど、二人が言い合ってる姿は一回も見たことがなかった。

 でも私と二人の時にはグチばかり言っていた母に「何で直接言えないんだろう・・・」って少し違和感があった。

 

そんな母は私の20代の頃、喉によく詰まらせるようになった。

飲み込めない、喉に違和感がある・・・

 

病院に行ったら、食道ガンだった。

 

入院して放射線治療、見るたびに痩せて行った母に、私は冷たい言葉を投げかけて責め立てていた。

何故そうしたのかがわからないけど何か無性に腹が立っていた。

お見舞いに行った後エレベーター前まで見送っていた母は、閉まるまで私を見送っていたけれど、本当に「何か言いたそうな目」をしていた。

とても辛かったんだと思う。

沢山、言いたいことがあったんだと思う。

 

 

母の最期を看取った時、心に母でしか埋められない穴がぽっかり開いてしまった。

それと同時に

 

「・・・こんな生き方したくない」

「こんな風に死にたくない」

 

と思った。

お母さんはずっとずっといろんなことを言いたいのに我慢してたから喉にガンができて死んじゃったんじゃないか。

お父さんにもお姑さんにも、他の人にも言いたいこと言えずにストレス溜めこんで自分が我慢すればいいって。

 

その結果が「言いたいことを喉に詰まらせて死んだんじゃないか」って。

実の母をこんな風に思うなんて薄情かもしれないけど、ある意味「反面教師」だと思ってる

 

だから私は

 

 

「言いたいこと、ストレスを溜めない」

「自分として生きる」

「やりたいことはやってから死ぬ」

 

 

そう決めた。

 

 

お母さんは幸せだったのかなぁ・・・

私はあまりそうは思えないけど、せめて「草葉の陰」は居心地がいいといいなぁ。

 

f:id:lanlanlando:20170722115715j:plain